出典種別 | 兵士の回想録等 |
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現在の地域情報 | 大分県 中津市 |
資料にある地域情報 | 大分県 中津市内 |
慰安所があった時期 | 1944年5月 |
記載内容 | 5月になって、別府湾に航空艦隊が入港するので士官の慰安所が必要になり、中津市内に2ヶ所急造する命令を受けた。さて慰安所とは何か、体の良い女郎屋ではないか、帝国海軍中尉が女郎屋造りもかと内心不満であったが、これもお国のためと諦めて中津の料理屋へ行く。女将に会うと芸者は全部木工場に徴用されているというので、早速工場へ出向き、モンペ姿の芸者を集めて海軍士官慰安所の説明と奉仕の同意を求めたが、全員賛同。但し「良質の紙の用意を」との申し出があった。・・・料理屋は「雲竜荘」「海竜荘」と命名されたが、設立者の小生は遂にその恩恵に浴することのなかったことが残念であった。 |
証言者 | 長田英夫 |
証言者属性 | 海軍飛行隊付主計中尉 |
部隊名 | |
資料タイトル | 【資料紹介】主計将校と「従軍慰安婦」―中曽根元首相― |
著者、公文書発信者など | 日本の戦争責任資料センター |
公文書宛先 | |
発行日 | 1995春 |
発行所 | 日本の戦争責任資料センター |
ページ | 82 |
出典備考 | 日本の戦争責任資料センター『季刊戦争責任研究 第7号』1995春 |
備考 | 長田英夫「宇佐海軍航空隊の思い出」552ページ |