出典種別 | その他
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現在の地域情報 | 鹿児島県 奄美市 |
資料にある地域情報 | 奄美大島、名瀬 |
慰安所があった時期 | |
記載内容 | 1944年(昭和19)2月に海軍大島防衛隊に赴任した木下勝さんの回想によると、同年12月に名瀬に上陸した時には、まだヤンゴの遊郭は営業していた。名瀬のヤンゴは戦争の激化により衰退したようだが、軍の慰安施設としての役割も果たしていたのである。名瀬のヤンゴで働く女性は、医師の診断を受けて50銭出して健康診断書を貰い、それを警察署衛生係に提出して鑑札を受ければ、客を取ることが出来た。そのため毎週1回自衛的健康診断と称して、半ば強制的に検診を行い、花柳病の予防を行っていた。ヤンゴはあくまで、民間業者が営業する場所だったのである。 |
証言者 | 木下勝 |
証言者属性 | |
部隊名 | 海軍大島防備隊 |
資料タイトル | 奄美諸島の日本軍「慰安婦」 |
著者、公文書発信者など | 菊池保夫 |
公文書宛先 | |
発行日 | 2018年夏季号 |
発行所 | 日本の戦争責任資料センター |
ページ | 33 |
出典備考 | 日本の戦争責任資料センター『季刊 戦争責任研究 第90号』2018年夏季号 |
備考 |
木下勝『青春の回想』私家版、1979年、54ページ/窪田繁『孤舟』私家版、1972年、169、172、173ページ参照
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