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資料の詳細

出典種別 兵士の回想録等
現在の地域情報鹿児島県 大島郡 徳之島町 山
資料にある地域情報徳之島の山集落
慰安所があった時期1944年11月
記載内容昭和19年11月、朝鮮軍夫一個中隊が徳之島山の暁部隊に配属された。・・・彼等の任務は暁部隊の原田隊の指揮下に配属され、山港の桟橋の架設やら軍の糧秣資材の運搬等に当たり、良く貢献していた。彼等軍夫と共に徳之島へやってきたのが朝鮮の娼妓30名余りでした。彼女らはいわゆる「慰安婦」として兵隊に乏しい酒肴を用意して慰問をする役目でした。戦後、今日でも「強制連行」等と騒がれていますが、徳之島に於ては彼女等は兵隊さんからキチンとお遊び料を貰って商売の組織の中で生活していた様である。ご苦労様でした。然し乍ら、島の人たちからは快く受け入れられては居なかったと思います。・・・彼女等の一部は、天下茶屋の十字路から馬鞍岳の麓に通ずる通称なべ底畑という所に、バラックを建てて開店営業致しておりました。残る一部は平土野集落から兼久へ通づる県道を、間瀬名川を渡った左手の窪地にバラックを建てて営業していた。いずれも、徳之島に駐屯する1万余の兵隊を相手に慰問をしていたわけです。第三国人として軽視され、ピーヤン、朝鮮ピー等と罵声を帯びせる輩も居ました。
証言者益田宗児
証言者属性徳之島住民(1932年生)
部隊名
資料タイトル徳之島特攻隊物語-祖国皇軍の花と散りし空鷲の英霊に捧げる-
著者、公文書発信者など益田宗児
公文書宛先
発行日2004.10.17
発行所南島文化研究所
ページ138-139
出典備考
備考 現在の地図の徳之島町の北部に山集落がある。山漁港のあるところ。天下茶屋や兼久の慰安所の位置は正確に記されている。
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