出典種別 | 兵士の回想録等 |
---|---|
現在の地域情報 | 地名特定不可能 |
資料にある地域情報 | 南九州 |
慰安所があった時期 | 1944年10月 |
記載内容 | 昭和19年10月初旬、「捷号作戦警戒」の報に、ここ南九州の某航空基地は緊張の極に達していた。基地内外の軍紀風紀の元締である衛兵司令=A中尉は、衛兵伍長の運転するサイドカーに打ちまたがって、夜明け前の巡視のため基地の町中をまわっていた。通称「Pハウ」(註)と呼ばれていた遊廓の一隅に3人の下士官がたむろしていた。「この非常事態に何事ぞ」誰何するほどもなくA中尉の鉄拳が彼らの顔面を見舞った。・・・ 11月中旬、A中尉にも出撃の命が下った。行く先は仏印のカムラン湾である。送別の宴で不覚にも酔いつぶれたA中尉が、目をさましたのは何とあの「Pハウ」の一室であった。気がついてみると、その部屋には黒リボンに飾られた海軍下士官の写真がまつられてあった。女の運んでくれた酔い醒めの水は冷たかった。女は静かに言った。「A中尉、この前は本当に有り難うございました。この写真の主も、心おきなく戦死することができたでしょう」そして女は自分の身の上話を始めた。北九州のF市の出身であること、写真の下士官とは結婚の話まであったことなど……。出撃を明日にひかえたAも感傷的になっていた。自分もF市出身で年老いた母が1人で家を守っていること。同じF市で伯父が病院を経営していること……。そしてあの時以来、指揮所に届けられていた柿や栗や芋などが彼女のひそかなお礼の気持ちの現われであったことも知った。 |
証言者 | 押本直正 |
証言者属性 | 日本軍兵士・海軍 |
部隊名 | 海軍航空基地 |
資料タイトル | 日本海軍風流譚三 短篇逸話集 |
著者、公文書発信者など | 海軍思潮研究会編 |
公文書宛先 | |
発行日 | 1980.12.8 |
発行所 | ことば社 |
ページ | 112-113 |
出典備考 | |
備考 |