出典種別 | 兵士の回想録等 |
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現在の地域情報 | 沖縄県 国頭郡 本部町 字伊豆味 |
資料にある地域情報 | 伊豆味の国民学校の裏 |
慰安所があった時期 | |
記載内容 | 本部町伊豆味国民学校の裏の森林に特別防衛隊通信隊があった。その通信室に2等兵として山里将晃さんが勤務していたが、50メートル向かい側の川をへだてた場所に慰安所があった。山里さんは3中3年在学中に16歳で志願、鉄血勤皇隊に編成されていた。この慰安所を「ピーヤー」とか「ペーターヤー」と呼んでいた。最初は何のことかよく分からなかったが、和服を着けた若い女性を近くに見ておよそのことは想像していた。いつか上官が「ペーター券さえあれば慰安所に行けるよ」と教えた。恩賜のタバコとペーター券が兵隊に支給された。山里さんには、タバコは兵隊と同じように配られたがペーター券はまわってこなかった。おそらく上官たちが横取りしていたのであろう。陣地へ上るときこの場所を通るので、兵隊たちが多数ピーヤーに並んでいるのが見られた。宇土部隊は八重岳に陣地を構え、伊豆味国民学校を宿舎として使っていた。一部は山里部落にも駐屯していた。ピーヤーはこれらの駐屯部隊を相手として設置されたものであった。 |
証言者 | 山里将晃 |
証言者属性 | 日本軍兵士 |
部隊名 | 3中鉄血勤皇隊 |
資料タイトル | オキナワ戦の女たち-朝鮮人従軍慰安婦 |
著者、公文書発信者など | 福地曠昭 |
公文書宛先 | |
発行日 | 1992.8.30 |
発行所 | 海風社 |
ページ | 67-68 |
出典備考 | 注:ウエブサイトで本部町立伊豆味小中学校の学校概要を見ると、1941年に伊豆味国民学校に改称されたが、その後、1954年に伊豆味小学校、伊豆味中学校に改称され、特に移転のないまま現在に至っている。従って、伊豆味国民学校とは現在の本部町立伊豆味小中学校のことである。大井川の上流が同学校の東南を流れている。「向かい側の川」がこの大井川の上流と思われる。 |
備考 | 本部半島のほぼ中央部に伊豆味がある。 |