出典種別 | その他 |
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現在の地域情報 | 沖縄県 国頭郡 本部町 字並里 |
資料にある地域情報 | 満名 |
慰安所があった時期 | 1944年10月 |
記載内容 | 北部守備隊の宇土大佐がひきいる宇土部隊の根拠地、本部の伊豆味周辺にもいくつか慰安所があった。那覇の辻や名護の料亭から、尾類とよばれた遊女を連れてきて慰安所を建てた。この中に朝鮮慰安婦が交っていたり、ところによっては朝鮮女性だけの慰安所も設置されていた。その例を上げると、本部町字満名に宇土部隊の慰安所があった。約10名の若い18~19歳の朝鮮慰安婦が働いていた。昭和19年十・十空襲後につくられた慰安所である。 |
証言者 | |
証言者属性 | |
部隊名 | 独立混成第44旅団第2歩兵隊第2大隊 |
資料タイトル | 哀号・朝鮮人の沖縄戦 |
著者、公文書発信者など | 福地曠昭 |
公文書宛先 | |
発行日 | 1986.6.1 |
発行所 | 月刊沖縄社 |
ページ | 146 |
出典備考 | |
備考 | 並里を地元ではナンザトゥともいうが、普通はマンナということが多い(「角川日本地名大辞典」編纂委員会『角川日本地名大辞典 47 沖縄県』角川書店、昭和61年、545ページ)こと、1944年頃は字満名というのはなかったから、並里でとった。 |