出典種別 | 目撃証言 |
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現在の地域情報 | 沖縄県 国頭郡 東村 川田 |
資料にある地域情報 | エーラ山のトーヤマ |
慰安所があった時期 | |
記載内容 | 球部隊・水勤隊が来た 沖縄本島守備軍の主力部隊である武部隊は昭和19年の10・10空襲後、台湾での決戦を必至とみて、渡台のため東村川田から引揚げたのが同年10月の下旬である。武部隊の引揚げと同時に球部隊及び水勤隊が入って来た。 球部隊(約100人) 隊長→政井少佐(川田営林署に宿泊) 兵→東国民学校に宿泊 水勤隊(約150人) 中隊長→少尉が2人いた(字川田の民家に宿泊)。 隊員→朝鮮人の男子約130人(エーラ山に宿泊小屋があった) 慰安婦(約20人)→30歳以下の朝鮮の女性で、水勤隊を管理する日本兵相手の慰安婦。慰安所はエーラのトーヤマにあった。 |
証言者 | 金城政信 |
証言者属性 | 製材所の現地責任者、当時33歳 |
部隊名 | 球部隊(政井少佐) |
資料タイトル | 東村史 第3巻 資料編2 |
著者、公文書発信者など | 東村史編集委員会 |
公文書宛先 | |
発行日 | 1984.3.1 |
発行所 | 東村役場 |
ページ | 456-457 |
出典備考 | 金城政信「徴用人夫と朝鮮人軍夫」 |
備考 | 現在の地図の東村内に福上湖があるが、この湖に注ぐ川の上流に「イエラーマタ」がある。かつてはこのイエラーマタ川(エーラマタガー)などの支流が南下し福地川となってユンヌ浜に注いでいたと思われるが、現在はダム湖となっている。イエラーマタはエーラマタとも言い、本証言のエーラ集落はこのイエラーマタ川の周辺にあったと思われる。現在はダム湖に水没したか廃村となっている。トーヤマは不明だが、エーラのトーヤマと言われていることから、エーラという地域の中の一部を指すものと思われる。いずれにしろ、位置不明につき、上位の行政区画である、東村川田でとった。 |