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資料の詳細

出典種別 その他
現在の地域情報沖縄県 うるま市 勝連津堅
資料にある地域情報津堅島
慰安所があった時期1944年10月
記載内容津堅島は与勝半島の東方海上約8キロに位置する面積1.69平方キロの小島であるが、久高島と共に中城湾の防波堤ともいうべき位置にあり、軍事上の要衝として早くから重視されていた。・・・津堅島は沖縄諸島の中でも最も早くから戦時体制にはいっていた。中城湾の要塞建設は中城湾の要塞建設は大正11年年度に、狩俣(宮古)、船浮(西表島)と共に計画にのぼっていたが、ワシントン条約の影響で延期となり、実際には臨時要塞建設命令が発せられたのは対米開戦直前の昭和16年(1941年)にはいってからであった。工事は8月に着工し10月にほぼ完了した。これには島の老若男女ほとんどが徴用で狩りだされ、連日重労働に従事させられている。以後、島には要塞重砲隊、歩兵部隊、野戦病院、兵舎、慰安所などが設置され、島の住民はいやおうなしに軍隊との共同生活をおくらねばならなかった。
証言者
証言者属性
部隊名
資料タイトル勝連町の戦争体験記録
著者、公文書発信者などうるま市勝連地区戦争体験記録編集委員会
公文書宛先
発行日2006.3.31
発行所うるま市教育委員会
ページ309
出典備考注:「沖縄県史 第10巻各論編9 沖縄戦記録2」と同一の文面である。
備考 「沖縄県史 第10巻各論編9 沖縄戦記録2」と同一の記載
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