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資料の詳細

出典種別 その他
現在の地域情報沖縄県 中頭郡 読谷村 字牧原
資料にある地域情報西隣に沖縄県立農林学校の避難壕
慰安所があった時期
記載内容(十二)御殿地(虎地)
福地ヌーの北側にあって、盆地になっており、一面がたんぼに利用されていた土地で、中城御殿の所有地であった。ここは、たんぼと湿地帯であったために、ターガニ(蟹)、ターンナ(たにし)の生息地になっていた。1945年(昭和20年)4月、米軍が沖縄に上陸する直前まで日本軍の「慰安所」があった所でもある。「慰安所」は、南北の方向に細長いかやぶきの小屋が2棟あった。「慰安所」の西隣には、沖縄県立農林学校の避難壕があり、そこは米軍のグラマンやカーチス戦闘機の機銃掃射によって生徒など数名が死傷した場所でもある。
証言者
証言者属性
部隊名
資料タイトル嘉手納町史 資料編2 民俗資料
著者、公文書発信者など嘉手納町史編纂委員会
公文書宛先
発行日1990.3.15
発行所嘉手納町役場
ページ98
出典備考
備考 比謝川は読谷村と嘉手納町に境界にある川である。比謝川は、南北に走る58号線付近で分岐し二つの支流となる。その間に挟まれた地域が牧原である。
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