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資料の詳細

出典種別 目撃証言
現在の地域情報沖縄県 宜野湾市 字嘉数
資料にある地域情報嘉数、部落の北側に面するミーガー寄りのサーターヤー
慰安所があった時期未記載
記載内容部落にはサーターヤー(製糖小屋)が東西南北に位置する形で4個所あり、1箇所目に3、4台ぐらいの圧搾機がおかれていた。部落の北側に面するミーガー(新川)寄りのサーターヤーに慰安婦の小屋があった。伊波正栄さんは「どこから連れてきたんでしょうか毎週土・日に30名以上の朝鮮人慰安婦がいて、朝鮮ピーといっていた筈です。慰安婦は全部が全部朝鮮人ではなかったと思います。軍の命令で分配されてきておりました」と証言している。具志堅タケさんも「字宜野湾に慰安婦の宿があると聞いていました。私の家に宿泊しておりました中隊長を訪ねて、そこから慰安婦がきているようでした。沖縄のジュリ(尾類・遊女)ではなかったでしょうか。ちょっと色が白くて垢抜けしているようでしたけど、服装は私たちと同じでモンペを着けていたんです」と証言している。
慰安婦(30人から40人)は週に2日、軍から連れてこられ嘉数高台の稜線上にある製糖小屋を利用してその任に着かせていた。嘉数に駐屯する日本兵は1200人であった。軍による慰安婦の凄まじい虐待ぶりがうかがえる。
証言者伊波正栄
証言者属性区長
部隊名独立歩兵第13大隊
資料タイトル大学生の沖縄戦記録
著者、公文書発信者など石原ゼミナール・戦争体験記録研究会著・石原昌家監修
公文書宛先
発行日1985.8.15
発行所ひるぎ社
ページ21-22, 55-57
出典備考注:戦災地図の慰安所の位置から現在の地図でどこに慰安所があったかが確認できる。
備考 宜野湾市は、沖縄本島中南部の中央に位置する。嘉数は宜野湾市の南西にある。
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