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資料の詳細

出典種別 目撃証言
現在の地域情報沖縄県 南城市 大里字稲嶺
資料にある地域情報大里村字目取真
慰安所があった時期1944年7月
記載内容19年7月、武部隊が来ると同時に我が家は慰安所として接収され、内部は改装されました。簡単に斜かいにした丸太に板を打ち付けただけの壁を作っただけです。家賃は軍から月に25円もらっていたといいます。慰安婦は辻の人で、全部で15、6人でしょう。時々は隣にいた我が家にもきていたのでわかります。2階は宴会場になっていたらしく、将校たちが大騒ぎしていました。紙が張ってあって朝8時から午後4時までは兵隊、4時から9時までは下士官、それ以後は将校と書いてありました。当時は金があっても物がない時代でしたが、食物など、この人たちはぜいたくでしたよ。向かいの理髪店も接収され、そこは検査するところで、1週間に1度か、軍医が来ていました。病気が見つかると、那覇の病院へ送られるということでした。慰安所の回りは高い塀が張り巡らされていましたが、台風でその塀が倒れ、兵隊が並んでいるのが見えるようになったのです。
慰安所分布表
市町村名:大里村 字名:目取真 建物:民家 期間:S19夏~ 慰安婦・人数:15人くらい 慰安婦・出身地:沖縄 営業形態:ー 軍隊名:ー 証言者・氏名:糸数良子 証言者・出典:『哀号、朝鮮人の沖縄戦』直接取材 備考:糸数商店と2軒
証言者糸数良子
証言者属性地元住民、自宅が慰安所にされた。
部隊名第9師団(武部隊)
資料タイトル第5回全国女性史研究交流のつどい報告集
著者、公文書発信者など賀数かつ子
公文書宛先
発行日1994.8.24
発行所全国女性史研究交流のつどい実行委員会
ページ22-23, 30
出典備考
備考 「今昔マップ on the web」に大里村の目取真がある。現在の地図では南城市で70年代の地図には目取真はあるが、その後の合併等で、かつての大里村字目取真は、現在の地図の南城市大里字稲嶺となった。
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