出典種別 | その他 |
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現在の地域情報 | 沖縄県 南城市 知念字久手堅 |
資料にある地域情報 | 知念村 久手堅 |
慰安所があった時期 | 1944年12月 |
記載内容 | 知念村内にも昭和19年12月中旬から石部隊が駐留にともなって軍人倶楽部(慰安所)が設けられていた。知念村役場の西隣りの知念村診療所のセメン瓦葺建物がそのまま慰安所として利用されていた。・・・知念村診療所の建物はすぐ近くに知念国民学校があり、風紀上好ましからぬ場所にあった。業婦は沖縄出身の那覇市辻町の遊郭から来た女であった。当時辻の女たちは10月10日の那覇大空襲で焼け出され、各地に分散していた。知念村内の慰安所も辻の女が8~10名ぐらいいた。・・・ 山部隊(第24師団)、歩兵第32聯隊の内務規定にある慰安所についての規定を参考に挙げてみることにする。 「山第3475部隊内務規定 付録第4、軍人倶楽部ニ関スル規定 付則第1、軍紀ノ維持及取締二関スル件」・・・ 一般ニ営業婦ノ共有観念ヲ徹底シ、占有観念ヲ厳禁ス・・・ 大隊長は専ら1人の慰安婦をもち、日夜宿舎(久出堅、二六の後の家)に同居していた。 |
証言者 | |
証言者属性 | |
部隊名 | 石部隊 |
資料タイトル | 知念村史 第三巻 戦争体験記 |
著者、公文書発信者など | 知念村史編集委員会 |
公文書宛先 | |
発行日 | 1994.7.30 |
発行所 | 知念村役場 |
ページ | 53-54 |
出典備考 | |
備考 | 「今昔マップ on the web」の1919年の地図に知念村の久手堅がある。久手堅集落の位置に役場の記号がある。1970年代も同様。現在の行政区画では南城市の知念字久手堅である。 |