出典種別 | 目撃証言 |
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現在の地域情報 | 沖縄県 南城市 玉城字糸数 |
資料にある地域情報 | 糸数壕(アブチラガマ) |
慰安所があった時期 | |
記載内容 | アブチラガマと地元の人が呼ぶ洞窟、糸数壕に案内された。なんの立て札もない。背を丸めながら、畑のなかの小さな穴を下りて行くと、大きな洞窟になっている。足元はぬるぬるとして何度も滑りそうになった。井戸、かまどの跡があった。その近くで「これは薬のアンプルだよ」と、初老の男性が暗い足元を懐中電灯で照らして、小さなガラス片を拾って見せた。ここは沖縄戦中に陸軍の野戦病院となり、慰安所もあった。住民の多くもここで殺された。だが、朝鮮人女性がいたことはわかっても、その後どうなったのかまだ明らかになっていない。昼食時、参加者の中で最も高齢と見えた女性に話しかけた。女性は74歳。当時、「ひめゆり学徒隊」とともに南風原の陸軍病院第3外科に看護婦として勤めていた。 「戦争中、『あそこへは行ってはいかん』と言われて、軍の慰安所には近づかなかった。私たちも朝鮮人慰安婦の女性たちを差別していたんです。そのことが、今になって恥ずかしく心残りです。もし自分が彼女たちのような境遇だったら、と思うと」 |
証言者 | 住民、看護婦 |
証言者属性 | 「ひめゆり学徒隊」とともに南風原の陸軍病院第3外科に勤務、1991年当時75歳 |
部隊名 | |
資料タイトル | 女たちの太平洋戦争‹2› 敵は日本人だった |
著者、公文書発信者など | 朝日新聞社 |
公文書宛先 | |
発行日 | 1991.11.25 |
発行所 | 朝日新聞社 |
ページ | 139-140 |
出典備考 | 安東建「«訪ねて»沖縄戦でたどる「強制連行」」 |
備考 | 南城市は、沖縄本島南部の都市である。南城市のほぼ中央付近に玉城字糸数がある。 |