出典種別 | その他 |
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現在の地域情報 | 沖縄県 那覇市 垣花町 |
資料にある地域情報 | 那覇 |
慰安所があった時期 | |
記載内容 | アメリカ兵は連日「S屋」の前に行列を作っていた。雨が降ろうが、風が吹こうが、その光景は変わらず、彼等が南に向けて去るまで続いた。これと同じ光景を那覇で見た。去年の暮だったと思う。武部隊が台湾に去った後、北から山部隊が引っ越してきて暫く民家に分宿していたが、慰安婦達も一緒に連れてきて私の隣の家を借りて早速仕事をさせていた。女性達はいわゆる「朝鮮の慰安婦」で、彼女達が騙されて朝鮮から連れてこられたことは戦後知った。当時はその様な事実を知る由もなかったが、その家の前は連日日本兵が列を作っており、今目の前にしている光景と全く変わりはなかった。南の方では未だ激しい戦闘が続いているのであろう。今帰仁小学校に駐屯しているアメリカ兵も同じ部隊が長く居座ることはなかった。1,2週間もすると別の部隊と交替して南部の戦線に向かって出発して行った。 |
証言者 | 宮里真厚 |
証言者属性 | 地元住民 1933年生まれ |
部隊名 | 第24師団(山部隊) |
資料タイトル | 小国民のたたかい 乙羽岳燃ゆ |
著者、公文書発信者など | 宮里真厚 |
公文書宛先 | |
発行日 | 1995.5.1 |
発行所 | 私家版(浦添市) |
ページ | 106 |
出典備考 | |
備考 | 垣花町は那覇港の西岸沿いにある。 |