出典種別 | 兵士の回想録等 |
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現在の地域情報 | 沖縄県 那覇市 首里赤平町 |
資料にある地域情報 | 首里赤平 |
慰安所があった時期 | 1944年10月 |
記載内容 | 昭和19年の十・十空襲直後のころ、首里赤平の虎頭山近くにあった開業医の一家が本土に疎開し、空家になっていた。すぐそこに料亭が出来た。それは、日本軍将校らの慰安所であった。 |
証言者 | 安富祖竹久 |
証言者属性 | 警官(首里署の刑事) |
部隊名 | |
資料タイトル | 那覇市史 資料編第3巻7 市民の戦時・戦後体験記1(戦時編) |
著者、公文書発信者など | 那覇市企画部市史編纂室 |
公文書宛先 | |
発行日 | 1981.3.30 |
発行所 | 那覇市企画部市史編纂室 |
ページ | 458-459 |
出典備考 | 安富祖竹久「青酸カリ飲み自殺を図る」 |
備考 | 古賀徳子「沖縄戦における日本軍「慰安婦」制度の展開(3)」(『季刊戦争責任研究』第62号)には「赤平町では富原医院に料亭兼将校用慰安所が設置された。首里署の刑事をしていた安富祖竹久は、将校が毎晩1時2時まで飲んで大騒ぎをするのを腹にすえかねて、営業時間は11時までだと注意したため、出てきた将校と口論になった」とある。証言の開業医はこの富原医院のことである。 |