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資料の詳細

出典種別 その他
現在の地域情報沖縄県 島尻郡 南風原町 字照屋
資料にある地域情報照屋 事務所と倉庫
慰安所があった時期
記載内容1944年(昭和19年)3月に第32軍(沖縄守備軍)が創設され、沖縄各地に続々と部隊が配備されるようになると、慰安所もまた各地に設置されて行った。南風原でも照屋と津嘉山に慰安所が設置されている。照屋への慰安所の設置は10・10空襲後のようで、もともとは喜屋武に予定されていたが、照屋に変更されたとのことである。証言によると、杉本隊が慰安所の設置に動いている。慰安所は、字の事務所に設置された。事務所と倉庫の2棟が慰安所として改造され、3畳程の小部屋が合わせて7部屋程作られた。入口の門には、慰安所の看板が掛けられていたという。この慰安所は、字民から「ピーヤ」とも呼ばれていた。慰安所の設置後、供出などの字の事務は製糖工場の事務所で行われた。慰安所の設置により字の様子が一変した。場所が住宅地の真ん中だけに、慰安所から順番待ちでずらりと並ぶ兵隊に、子供たちは大きな影響を受けている。中でもサックを風船がわりにしての遊びが流行した。・・・
照屋の慰安所にいた慰安婦は全員沖縄県人で、那覇の遊廓・辻のジュリ(遊女)たちであったという。戦時体制の中で、遊廓のジュリたちも、慰安婦として日本軍に組み込まれるようになっていた。慰安婦たちが宿泊していた家は4戸が確認されている。その数は合わせて13,4人におよび、家族や世話人(ジュリアンマー・抱え親)を含めると約20人が宿泊していたようである。慰安婦の年齢は10代から25才くらいであった。
証言者
証言者属性
部隊名第32軍司令部、第32軍兵器勤務隊「球1616部隊慰安所」
資料タイトル南風原町沖縄戦戦災調査9 照屋が語る沖縄戦
著者、公文書発信者など南風原町史戦災調査部会
公文書宛先
発行日1994.3
発行所南風原町史編集委員会
ページ12-13
出典備考
備考 那覇市の南東に南風原町がある。南風原町の南部に照屋がある。
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