出典種別 | 目撃証言 |
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現在の地域情報 | 沖縄県 島尻郡 八重瀬町 字新城 |
資料にある地域情報 | ヌヌマチガマ |
慰安所があった時期 | |
記載内容 | このガマには朝鮮人の女が5人いた。全然仕事もさせないで、野菜取りにも行かさないで、寝たり起きたり、食事は自由。「なんであの人たちには仕事をさせないで、私たちのつくったご飯をあげて、遊んで、私たちはこんなに使うの」と係の兵隊に怒ったことがあった。「あれは、よっちゃんたちにはできない、他の仕事をしているから怒らないで」と言われた。この意味もわからんですよ。子どもだから。「何やってるのかな」とこれだけしか思っていなかった。6月3日、この人も薬と手榴弾を持って、乾パンも1人に1袋持って出て行った。あの人たちは、外に出ないから、ケガはなかった。手榴弾をあげると、それを腰にくびって(結んで)行った。それ以降、会っていない。亡くなったはずよ。 証言の掲載にあたって 三、朝鮮の人がガラビ側入口付近にいたといわれているが、その人数や役割が明確になっていない。白梅学徒の証言では「下の処理」をしていたとなっているが、地域の人の証言では、慰安婦的な扱いをされていたといわれている。 |
証言者 | 座嘉比ヨシ |
証言者属性 | 地元住民 |
部隊名 | |
資料タイトル | シリーズ 沖縄の戦争遺跡 ガラビ・ヌヌマチガマ |
著者、公文書発信者など | 沖縄平和ネットワーク 文化財・ガマ部会 |
公文書宛先 | |
発行日 | 2001.10.8 |
発行所 | 沖縄平和ネットワーク |
ページ | 36、78 |
出典備考 | ガラビ壕とヌヌマチガマは内部でつながっている。 |
備考 | 沖縄本島南端の中央付近に八重瀬町がある。新城はその東側にある。ガラビガマがある。 |