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資料の詳細

出典種別 目撃証言
現在の地域情報沖縄県 宮古島市 平良字下里
資料にある地域情報凱旋通りにある民家
慰安所があった時期1944年5月
記載内容戦時中私は宮古の日本軍司令部の経理部に勤めていました。司令部に勤め始めたのは昭和19年の5月頃でした。司令部は平良第1小学校と宮古県立女学校にありました。私は経理部に勤めている頃、事務員2、3人で上官の洗濯物をたのまれて凱旋通りにある民家に時々行ったものでした。その民家が慰安所だったわけで、その敷地に井戸があり2階建ての家で庭が広かったのを覚えています。その家の方たちは疎開していました。私もよく知っている方たちですので名前はひかえさせていただきます。そこで見た女性たちは浴衣を着て帯を前に結んでいました。色の白い、まだ幼い感じの朝鮮の娘さんたちでした。2階の家の玄関では兵隊さんたちが並んで立っていたのを覚えています。
証言者根路銘俊子
証言者属性軍司令部経理部勤務
部隊名
資料タイトル戦場の宮古島と「慰安所」12のことばが刻む「女たちへ」
著者、公文書発信者など日韓共同「日本軍慰安所」宮古島調査団
公文書宛先
発行日2009.9.6
発行所なんよう文庫
ページ94-96
出典備考現地調査:「韓国・沖縄・日本共同調査団」(団長:尹貞玉)
備考 現在の地図の宮古島の下里と西里の境界となる道路がガイセン通り(凱旋通り)である。一般的に地図を描く場合に北を図の上とするが、95pの根路銘俊子の手書き図をそのように見ると、慰安所は凱旋通りの西(つまり下里)にあったことになる。ここではそのように推測した。
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