出典種別 | 目撃証言 |
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現在の地域情報 | 沖縄県 宮古島市 平良西里 |
資料にある地域情報 | 野原越 |
慰安所があった時期 | 1945年5月 |
記載内容 | 生き残った7名の慰安婦をつれて伊良部島に着きました。・・・伊良部島を経て、着のみ着のまま宮古島に着き、7名の慰安婦を野原越の師団監理部へ連れて行きました。慰安所が今の沖縄食糧会社の西隣、西里、野原越にありました。野原越の管理部は垣花恵栄宅にありました。兵隊の性欲と云うのはそんなに強いものだろうか、連日、列をなして順番を待っていました。担架と薬品をとりに行って、それははたさず、2万円の物資は無一物となり、朝鮮の女性7名をつれて帰ったわけです。20年5月、もう、町の中は無人化し、城辺村の字友利に疎開しました。 |
証言者 | 池村恒正 |
証言者属性 | 歯科医 |
部隊名 | |
資料タイトル | 沖縄県史 第10巻 各論編9 沖縄戦記録2 |
著者、公文書発信者など | 沖縄県教育委員会 |
公文書宛先 | |
発行日 | 1974.3.31 |
発行所 | 沖縄県教育委員会 |
ページ | 262 |
出典備考 | 池村恒正「朝鮮人慰安婦の遭難」 |
備考 |