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資料の詳細

出典種別 目撃証言
現在の地域情報沖縄県 宮古島市 平良字東仲宗根添
資料にある地域情報大野越
慰安所があった時期未記載
記載内容朝鮮人の慰安婦は分からない。ただ、「台湾ピー」は見た。私が知っているのは「台湾ピー」だけ。海軍に派遣されてまた陸軍に廻されたりして、終戦は大野越で迎えられた。台湾ピーたちは、大野越にあった。水源地の大野越に、2軒か3軒あった。今考えてみると「台湾ピー」の慰安時は、20坪くらいの立派な家で、それを接収してそこを使っていた。・・・
前回話をしてからどんどん昔の話を思いだした。台湾の女性たちが居た場所は、台湾の慰安婦は名城部落から2キロ離れたところに慰安所があった。台湾の女性たちがいた。20坪くらいの赤瓦の家だった。管理している男性は朝鮮人だった。台湾慰安所の近くに台湾人の民家があって、その家に住むオバーが毎日ズボンをはいていたので、とても珍しかった。家の前には県道が通っていた。
証言者久高勝伯
証言者属性軍属
部隊名
資料タイトル戦場の宮古島と「慰安所」12のことばが刻む「女たちへ」
著者、公文書発信者など日韓共同「日本軍慰安所」宮古島調査団
公文書宛先
発行日2009.9.6
発行所なんよう文庫
ページ112-119
出典備考現地調査:ホン・ユンシン、「韓国・沖縄・日本共同調査団」(団長:尹貞玉)
備考 グーグルマップの航空写真などから119pの碑のある場所が確認できる。慰安婦の碑ではなく、「大野越開拓記念塔」である。この付近に慰安所があった。行政区画は、宮古島市の東海岸沿いにある平良東仲宗根添である。慰安所の位置は大野越果樹園付近の83号線沿線である。
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