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資料の詳細

出典種別 目撃証言
現在の地域情報沖縄県 宮古島市 平良字東仲宗根添
資料にある地域情報宮原、「スナ松木」の幕舎
慰安所があった時期未記載
記載内容あれみたいな松が向こうに、昭和の初めにあった。それで、ここは、「スナ松木」という。「スナ松木」のスナというのはこの村をスナっていう。そこに松林があったから、ここをスナ松木というようになった。そこに、幕舎と僕らは言っていたけど、慰安所があった。幕舎で、簡単な形だけど、まあ、あった場所は、向こうはスナ松木という、通称で呼ばれている所だった。ここにその松林の疎林があった。そして、所々に松が、あのような松木があったり、あれより小さいものがあって、その中に幕舎が張られて、簡単な家だった。将校は僕らの家の前のA宅の一番座に住んでいた。A家の長男はその頃、中国へ日本兵として出征していた。幕舎の慰安婦はA宅に通っていた。あの朝鮮の女性たちが幕舎に住み、若い兵隊たちが全部並んでいたと言われる。順番待ちで、日本の兵隊たち、普通の兵隊は幕舎の前に並んでいた。そして、将校はまた民家のA家を借りて、徴用というか、無理やりでも接収して、一番座を借り、幕舎の慰安婦を通わせていたわけ。ここをまた慰安所として使った。
証言者小緑恵良 
証言者属性地元住民 1942年生
部隊名
資料タイトル戦場の宮古島と「慰安所」12のことばが刻む「女たちへ」
著者、公文書発信者など日韓共同「日本軍慰安所」宮古島調査団
公文書宛先
発行日2009.9.6
発行所なんよう文庫
ページ127, 129-138
出典備考現地調査:ホン・ユンシン、「韓国・沖縄・日本共同調査団」(団長:尹貞玉)
備考 伊良部ミヨ、小禄恵良、池間トミは宮原にあった同一の慰安所、及びそこの「慰安婦」について証言していると思われる。「宮古島全域ガイドマップ」の東側の鏡原・増原線(194号線)の北側に宮原がある。行政区画上は、平良東仲宗根添である。
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