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資料の詳細

出典種別 目撃証言
現在の地域情報沖縄県 宮古島市 城辺字下里添
資料にある地域情報サズガー
慰安所があった時期1944年9月頃
記載内容こちらのちょっと離れたところであったよ……うちらのところはね。・・・前は相当賑やかであったんだが。向こうの慰安所はね、十何名くらいであったかね。たしか下士官用とかね、下士官の方なんかね、また将校連中……こちらの専用であったと聞いていたんだが。普通兵卒は出入りしなかったよ。それで、憲兵がしょっちゅう見回っておったよ。あんた軍隊のことはわかる? 兵卒と言ったら、下の方。また、下士官と言ったら伍長から軍曹まで。また、将校と言ったら少尉から上だね。これらの専用であったと聞いておったんだが。そして、美人がそろっておったよ。若くしてね、みんな。それで憲兵がしょっちゅう見回りしておった。・・・
向こうの必要とする、肉類なんか、まんじゅうなんか、要は食糧なんかを向こうの注文どおりに持って行っていたさね。そうこうしているうちに親しくなってね、あとはもういろいろ肉体関係もやって、向こうからすすめてきたよ。当時、数え19歳から20歳のところまで、また、ちょっと言いにくいことではあるんだが、あの慰安所に、毎晩のようではないんだが、うちが時々通ったことがあるさね。慰安所の隣であったよ。
証言者Yさん(男性)
証言者属性日本軍兵士
部隊名
資料タイトル戦場の宮古島と「慰安所」12のことばが刻む「女たちへ」
著者、公文書発信者など日韓共同「日本軍慰安所」宮古島調査団
公文書宛先
発行日2009.9.6
発行所なんよう文庫
ページ159-163
出典備考現地調査:上里清美、ホンユンシン、「韓国・沖縄・日本共同調査団」(団長:尹貞玉)
備考 下里愛子、久貝吉子、U、Y、国仲繁男、荷川取松金、川平フジは下北にあった同一の慰安所を証言していると思われる。現在の地図の宮古島の中央付近に、宮古空港の脇を通る平良・城辺線が友利・砂川線と分岐する地点(野原越交差点の少し南)があるが、その分岐点の少し南にツガ川があり、その東方に佐事川がある。慰安所はこの佐事川の少し北である。沖縄県農業研究センターの南にあたる。慰安所の位置は、宮古市の行政区画上は、城辺字下里添である。
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