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資料の詳細

出典種別 目撃証言
現在の地域情報沖縄県 宮古島市 城辺字下里添
資料にある地域情報砂川地下ダム野原岳群機場の前
慰安所があった時期未記載
記載内容慰安所は松林の中にあったけど、現在は砂川地下ダム野原岳群機場の前、サトウキビ畑となっている。平たい大きな瓦葺きの家だったよ。50~60坪くらいはあったと思うさ(聞き取りをしている際に、通りかかった90歳を超える津波古昌序さんの話では「四角い瓦葺き」だったという)。もう90歳なのに元気でしょう。当時の大人の言うことだから、私の記憶は確かなはず。経営者は兵隊がおこなっていたと思うよ。女の人は常時5~6人いたと記憶している。瓦葺きの家の慰安所が確かにあったよ。近くに溜池があって、雨が降れば水が溜まっていた。彼女たちがそこで洗濯や水浴びをしているのを2,3度みたこともある。住民たちは彼女たちのことを同情している人も軽蔑している人もいたように思う。慰安所から10分くらいのところに汲み上げ井戸があり、その側に兵舎があった。井戸は酒醸といって、給水部は毎日水を汲み上げていた。近くに酒の醸造所があったのでこう呼ばれていたわけ(現在の下里添地区の3号給水所)。
証言者佐和田豊三
証言者属性独立歩兵第395大隊
部隊名
資料タイトル戦場の宮古島と「慰安所」12のことばが刻む「女たちへ」
著者、公文書発信者など日韓共同「日本軍慰安所」宮古島調査団
公文書宛先
発行日2009.9.6
発行所なんよう文庫
ページ169-170
出典備考現地調査:上里清美、「韓国・沖縄・日本共同調査団」(団長:尹貞玉)
備考 佐和田豊三、佐和田文、下地茂は同一の慰安所を証言していると思われる。現在の地図の宮古島の中央部より少し南に城辺字下里添がある。下里添の南に砂川地下ダム野原岳群機場がある。施設の表札には「砂川地下ダム野原岳第1群機場」と記されている。この施設の前に慰安所があった。ここが花切であろう。
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