出典種別 | 目撃証言 |
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現在の地域情報 | 沖縄県 宮古島市 城辺字下里添 |
資料にある地域情報 | サーズガー、下北慰安所 |
慰安所があった時期 | 未記載 |
記載内容 | 佐和田豊三さんの案内で、「慰安所」の跡地はもちろん、朝鮮人「慰安婦」たちが水汲みや洗濯ものをした井戸などを一緒に廻った。その過程で当時、佐和田豊三さんの案内により、国仲繁雄さん(国仲理容館・下南)にも、「慰安所」について聞くことができた。国仲さんは、戦時中、現地入隊をした経験を持つ。国仲さんの証言によると、サーズガー(部落名)のところに下北「慰安所」があったと聞いているという。 サーズガー(部落名)のところに下北「慰安所」があったと聞いている。そこは、城辺の「恐ろしいガー」から歩いて10分~15分くらいの近くに位置していたという。花切の「慰安所」は個人の松林に兵隊が「慰安所」をつくったものであった、とも聞いた。人々は、「ピー屋」と呼んでいた。 |
証言者 | 国仲繁男 |
証言者属性 | |
部隊名 | |
資料タイトル | 戦場の宮古島と「慰安所」12のことばが刻む「女たちへ」 |
著者、公文書発信者など | 日韓共同「日本軍慰安所」宮古島調査団 |
公文書宛先 | |
発行日 | 2009.9.6 |
発行所 | なんよう文庫 |
ページ | 171 |
出典備考 | 現地調査:上里清美、「韓国・沖縄・日本共同調査団」(団長:尹貞玉) |
備考 | 下里愛子、久貝吉子、U、Y、国仲繁男、荷川取松金、川平フジは下北にあった同一の慰安所を証言していると思われる。現在の地図の宮古島の中央付近に、宮古空港の脇を通る平良・城辺線が友利・砂川線と分岐する地点(野原越交差点の少し南)があるが、その分岐点の少し南にツガ川があり、その東方に佐事川がある。慰安所はこの佐事川の少し北であり、また、沖縄県農業研究センターの南にあたる。また、花切は佐事川の南であり、砂川地下ダム野原岳第1群機場の前である。いずれの慰安所の位置も、宮古市の行政区画上は、城辺字下里添である。 |