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資料の詳細

出典種別 目撃証言
現在の地域情報沖縄県 宮古島市 城辺字下里添
資料にある地域情報野原嶺の裏手の赤瓦屋根の慰安所
慰安所があった時期未記載
記載内容野原嶺の裏手あたり、現在はさとうきび畑である。赤瓦屋根の慰安所であった。何時頃建てられたか、何時撤去されたかわからない。朝鮮の女性たち12~15人くらいいた。年は15~20才の若い娘たちだった。兵隊たちが並んでいることを見たことがある。女性たちの面倒をみていたのは日本名の朝鮮の男性だった。隣の家の赤ちゃんを自分たちの部屋へ連れていき、面倒を見たりして付近の住民とは仲良くしていた。
慰安所分布表
市町村名:城辺町 字名:下北 建物:民家 期間:ー 慰安婦・人数:12~15人 慰安婦・出身地:朝鮮 営業形態:朝鮮人の男が管理 軍隊名:独混60旅団 証言者・氏名:砂川次郎、砂川ヨシ 証言者・出典:奥浜幸子氏調査 備考:ー
証言者砂川次郎、砂川ヨシ
証言者属性地元住民
部隊名
資料タイトル第5回全国女性史研究交流のつどい報告集
著者、公文書発信者など賀数かつ子
公文書宛先
発行日1994.8.24
発行所全国女性史研究交流のつどい実行委員会
ページ24, 31
出典備考
備考 下里愛子、久貝吉子、U、Y、国仲繁男、荷川取松金、川平フジらと同様に、下北にあった同一の慰安所を証言していると思われる。現在の地図の宮古島の中央付近に、宮古空港の脇を通る平良・城辺線が友利・砂川線と分岐する地点(野原越交差点の少し南)があるが、その分岐点の少し南にツガ川があり、その東方に佐事川がある。慰安所はこの佐事川の少し北である。沖縄県農業研究センターの南にあたる。慰安所の位置は、宮古市の行政区画上は、城辺字下里添である。
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