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資料の詳細

出典種別 目撃証言
現在の地域情報沖縄県 宮古島市 城辺字下里添
資料にある地域情報城辺下南
慰安所があった時期未記載
記載内容慰安所が出来たのは、あまり記憶にないね。こちらから見ると茅葺きで大きかったみたいよ。幅はなかったけど、長屋みたいな造りで広かったみたいよ。慰安婦は何名いたかわからないけど。ただ、私の家に桃の木が2,3本あって、それに実が鈴なりにいっぱいになっていたので、5,6人ずつ貰いに来たことがあるけどね。夏だったと思うよ。大竹という主計中尉がさんがおったけどね。あの人なんかは慰安所によく食糧を持っていってあげたみたいよ。食糧の中尉だったから。・・・慰安婦は朝鮮人も台湾人もいたんじゃないかな。区別はつかないがそういうふうに話していたからさ。
証言者佐和田文
証言者属性地元住民(下南)、満22歳
部隊名
資料タイトル城辺町史 第二巻戦争体験編
著者、公文書発信者など城辺町史編纂委員会
公文書宛先
発行日1996.3.30
発行所城辺町役場
ページ357-358, 362
出典備考
備考 佐和田豊三、佐和田文、下地茂は同一の慰安所を証言していると思われる。「宮古島全島ガイドマップ」によると、友利・砂川線の東側に花切がある。現在の地図でこの位置をとると城辺字下里添になる。上述したように362pの地図の慰安所跡を現在の地図と対比させると、a-4480などの慰安所の位置と同一場所であることがわかる。その場所は花切である。花切は佐事川(下北)の南であり下南ともいい、慰安所の位置は砂川地下ダム野原岳第1群機場の前である。
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