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資料の詳細

出典種別 目撃証言
現在の地域情報沖縄県 宮古島市 城辺字比嘉
資料にある地域情報比嘉
慰安所があった時期未記載
記載内容戦時中、当時6歳でした。現在の平良市に住んでいましたが、城辺町比嘉に疎開。親戚の家を間借りし、家族5人を含む計10名で生活していました。間借りした家の隣が慰安所で、慰安所の隣には兵舎がありました。慰安所とされた赤瓦の大きな家にはおじいさんが1人で住んでおり、慰安所として間借りされた後もおじいさんは住んでいました。慰安所には約10名の朝鮮人慰安婦がいて、スカートやワンピースを身にまとっていました。私の母親と慰安婦たちがとても仲がよく、家にも頻繁に遊びにきており、日本語を話す慰安婦もいました。慰安婦たちは、色が白く、とても優しかったです。慰安婦たちは、私の家の庭にあるトウガラシをよく食べていました。また母親と慰安婦が一緒にみそを作っていました。私自身、慰安婦と話した記憶はありますが、当時まだ幼かったため、会話の内容までは覚えていません。慰安所の管理者は40代か50代くらいの朝鮮人(女性)でした。日本語を話し、私の妹(当時2,3歳)に防空頭巾を縫ってくれるなど、とても親切でした。戦争が終わり、兵隊がトラックで引き揚げるときに、兵隊は住民たちにもういらないからと乾パンを配りました。住民たちは、引き揚げる様子をただ立って見ていました。その中で、慰安婦たちが地面に落ちた乾パンや石を、朝鮮の言葉で大声でわめきながら投げつけていたんです。子どもながら、その場面を鮮明に覚えています。
証言者Mさん
証言者属性地元住民、当時6歳
部隊名第60旅団駒13068隊など
資料タイトル戦場の宮古島と「慰安所」12のことばが刻む「女たちへ」
著者、公文書発信者など日韓共同「日本軍慰安所」宮古島調査団
公文書宛先
発行日2009.9.6
発行所なんよう文庫
ページ167-168
出典備考現地調査:ホン・ユンシン、「韓国・沖縄・日本共同調査団」(団長:尹貞玉)
備考 K、M、山城三郎、前里充宏、福地曠昭は同一の慰安所を証言していると思われる。宮古島南部東半分が城辺である。城辺の海岸沿いに比嘉がある。行政区画上は、宮古島市城辺字比嘉である。
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