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資料の詳細

出典種別 目撃証言
現在の地域情報沖縄県 宮古島市 城辺字比嘉
資料にある地域情報比嘉に入る三叉路の東側
慰安所があった時期未記載
記載内容今の県道から比嘉に入る三叉路の東側に慰安所はあったね。大きい茅葺きの兵舎であった。慰安婦の数ははっきりわからないけど、いっぱいゴジャゴジャしとったよ。兵隊はみんなそこにきて楽しみとしておった。うちなんかは見たことがないけども話だけは聞いた。小学校児童なんかが身体検査を受けるように並んでな用をすましていたようだ。向こうにいっぱい兵舎があって兵隊が多かったから、利用したんじゃないかね。福里の西里蒲三さんが管理していた。蒲三さんは村会議員で村当局とも連携もとりやすかったし、また、奥さんが比嘉の生まれだったよ。詳しいことはわからんけど、慰安婦はきれいな人が多かったようだ。体格はあるしスマートで、「朝鮮ピー」といっていた。散歩がてら4、5名な7、8名な遊んでいるのが自分らの仕事の合間なんかによく見えたよ。
証言者山城三郎
証言者属性地元住民、徴用され飛行場建設作業
部隊名
資料タイトル城辺町史 第二巻戦争体験編
著者、公文書発信者など城辺町史編纂委員会
公文書宛先
発行日1996.3.30
発行所城辺町役場
ページ240
出典備考山城三郎「比嘉の慰安所」/現地調査:ホ・ンユンシン、宮城貴奈
備考 K、M、山城三郎、前里充宏、福地曠昭は同一の慰安所を証言していると思われる。宮古島南部東半分が城辺である。城辺の海岸沿いに比嘉がある。行政区画上は、宮古島市城辺字比嘉である。長間郵便局の東に、平良城辺線(78号線)から比嘉に入る三叉路があるが、慰安所は、この三叉路付近の78号線に面した南にあった。慰安所の位置も、行政区画上は、城辺字比嘉である。
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