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資料の詳細

出典種別 目撃証言
現在の地域情報沖縄県 宮古島市 上野野原
資料にある地域情報野原、赤瓦の家
慰安所があった時期
記載内容また、赤瓦の家があった。住民の中には、戦争中には18年くらいからは軍の命令で宮古島は激戦地になるからといって台湾に疎開した方も多い。しかし、もう、軍の命令で移動するわけだから大変だったし、やはり惨めだった。おじいさん1人残して台湾に全員引き上げて空き家になったけど、台湾からきた特攻隊がそこで休んでいた。片道の燃料だけ入れて飛ぶわけ。長屋の慰安所からその赤瓦に女たちは通っていたらしい。何名いたのか分からないけど、大体、土曜日と日曜日に通っていた。兵隊さんは慰安所にも土曜日と日曜日によく来ていた。普段の日も5時以降、見えた。普通の日に兵隊さんの外出は厳しく禁じられていた。兵隊さんが民家に出て物を貰ったりすると、兵隊の偉い人が見たら体罰も怖かった。可哀想だったよ。赤瓦の家は、最初から借りたわけではなく、慰安所の女性なんかが、特攻隊のために割りあてていたかは分からないけど、5,6人がいた。なじんで「にーちゃん」とか「坊や」とか声をかける、「にーちゃん」「にーちゃん」とね。姉さんもいた。4,5人は顔を覚えていたけど、何人いたのかまで分からない。女性たちは水の確保が一番だったけど、久貝カネさんのところに水タンクもあったから、軍命令で確保して家賃なども払ったかどうかも分からないけど、たぶん、払わなかったのではないかな。父親に兵隊さんたちがあの女性たちは朝鮮人だと話したことも覚えている。
証言者与那覇博敏
証言者属性地元住民 小学校5年生
部隊名歩兵第3連隊
資料タイトル戦場の宮古島と「慰安所」12のことばが刻む「女たちへ」
著者、公文書発信者など日韓共同「日本軍慰安所」宮古島調査団
公文書宛先
発行日2009.9.6
発行所なんよう文庫
ページ78-79
出典備考
備考
※日本軍慰安所マップの地点としては反映させていない。
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