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資料の詳細

出典種別 目撃証言
現在の地域情報沖縄県 宮古島市 上野字野原
資料にある地域情報野原
慰安所があった時期1944年3月
記載内容当時自宅のすぐそばに長い慰安所があってよく見ている。僕らは小学校5年生であったから、ここにいたのは「挺身隊」と聞いていたけど、実際は慰安婦だよね。東西にのびた長屋で、「かやぶき家」、「カヤヤー」だった。長い通路があって部屋は長く横並びにしてあった。入口には事務所らしきものがあった。ここは、最初から慰安所として使ったわけではなく、歩兵第3連隊の宿舎として使われていたけど後から女性たちが移ってきた。女性たちが移住してきたのは、昭和19(1944)年の3月から4月頃だったと思う。小学校5年の新学期が始まる時期だったので覚えている。この辺は皆草刈場でしたし、最初は、何故、兵隊さんたちが居る所に女がいるのかなと、近くにあった炊事場でお手伝いする女たちでもないね。不思議に思った。中は部屋ごとに区切りをつけられていたと思う。戦後、宮古島では慰安所も日本軍が使った兵舎などもみな建材を取って使おうと争うかのようにとりに行った。僕らも長い「かやぶきの家」の木とか取って馬小屋でも造ろうかとしたけど、その時に入ってみたらやはり部屋ごとに区分していた。そんなに良いところではなかったし、女性たちも苦労したと思う。・・・なぜここに慰安婦がいたかというと、今は青々と植物が植えられているが、実は、ここは兵隊の宿舎と陣地の跡だ。なぜここに慰安所があったかというと、実は、ここは通信隊、機関砲隊、艦砲車両、大砲、そしてあちらは白井隊の軍馬がおかれた陣地の跡だからね。今はまったくその姿もなく、平和がいつまでもそこにあれと語っているようだけど。
証言者与那覇博敏
証言者属性地元住民
部隊名
資料タイトル戦場の宮古島と「慰安所」12のことばが刻む「女たちへ」
著者、公文書発信者など日韓共同「日本軍慰安所」宮古島調査団
公文書宛先
発行日2009.9.6
発行所なんよう文庫
ページ76-84, 86, 89
出典備考現地調査:ホン・ユンシン、「韓国・沖縄・日本共同調査団」(団長:尹貞玉)
備考 与那覇博敏、久貝シゲ、下地松金は同一の慰安所を証言していると思われる。「宮古島全島ガイドマップ」によると、宮古島の南部は、西から下地地区、上野地区、城辺地区にわかれている。野原は上野地区の一画、野原岳の西にある。上野地区の北部である。長屋と与那覇さんの家は直線距離で約00メートル、長屋と赤瓦の家は約80メートルであった。「今は青々と植物が植えられている」という証言があるが、確かに航空写真を見ると、慰安所の長屋があった箇所は草地になっている。
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