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資料の詳細

出典種別 目撃証言
現在の地域情報沖縄県 宮古島市 上野字野原
資料にある地域情報野原
慰安所があった時期未記載
記載内容野原にずっと住んでいる。兵隊にも取られないで。近くの慰安所(与那覇博敏さんの証言した場所と同一)で慰安婦は4名か5名見た。兵隊さんたちが長い列を作っていたから印象的で覚えている。手前の畑に慰安婦たちが来て、ニンニク、わざわざ植えたものを取っていた。自然に生えたものだと思って取りましたと言うからよ。それはわざわざ植えたんだと言ったら、欲しがっているようだから、そのままあげていた。すぐ家の手前の畑だよ。その時代は、皆、大変だった。空襲もある。そんな時代もあった。兵舎をつくっていたから、特攻隊も休んでいたから、青年よ。ずっと道のあちこちまで誘導路があったから、畑のなかに飛行機があってそれが中飛行場だったから、こっちの飛行場から飛行機を飛ばして、あっちに。
証言者下地松金
証言者属性地元住民
部隊名
資料タイトル戦場の宮古島と「慰安所」12のことばが刻む「女たちへ」
著者、公文書発信者など日韓共同「日本軍慰安所」宮古島調査団
公文書宛先
発行日2009.9.6
発行所なんよう文庫
ページ89
出典備考現地調査:ホン・ユンシン、「韓国・沖縄・日本共同調査団」(団長:尹貞玉)
備考 与那覇博敏、久貝シゲ、下地松金は同一の慰安所を証言していると思われる。「宮古島全島ガイドマップ」によると、宮古島の南部は、西から下地地区、上野地区、城辺地区にわかれている。野原は上野地区の一画、野原岳の西にある。上野地区の北部である。長屋と与那覇さんの家は直線距離で約00メートル、長屋と赤瓦の家(特攻隊の家)は約80メートルであった。下地松金さんの家の位置は不明。
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