| 出典種別 | 兵士の回想録等 |
|---|---|
| 現在の地域情報 | 沖縄県 宮古島市 上野野原 |
| 資料にある地域情報 | 野原 |
| 慰安所があった時期 | 未記載 |
| 記載内容 | 終戦までは、病気らしい病気をしたことはなかったんですが、除隊してからマラリアにさいなまれました。かえってすぐから、半年ほどもです。髪の毛がバラバラと落ちるまでです。高熱で、生死の境をいったりきたりしました。 生命びろいしたのは慰安所の女たちのくれた薬だったんですね。終戦後2,3か月は、うちの隣のバラックの慰安所に朝鮮出身の女たちがいましたが、その女たちが、うちの母と親しく交わっていたんですね。うちにあるのを何かあげたりしていた関係ですね。私がマラリアにかかっているというので、薬をくれたんですね。それで、何とか、いのちびろいしたんです。ありがたかったですね。 |
| 証言者 | 砂川昌良 |
| 証言者属性 | 上野村野原出身、日本軍兵士・幹部候補生 |
| 部隊名 | 5620部隊第12中隊 |
| 資料タイトル | 沖縄県史 第10巻 各論編9 沖縄戦記録2 |
| 著者、公文書発信者など | 沖縄県教育委員会 |
| 公文書宛先 | |
| 発行日 | 1974.3.31 |
| 発行所 | 沖縄県教育委員会 |
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| 出典備考 | 砂川昌良「現役兵」 |
| 備考 |