出典種別 | 被害証言 |
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現在の地域情報 | 沖縄県 宮古島市 |
資料にある地域情報 | 沖縄県 宮古島 |
慰安所があった時期 | |
記載内容 | 基隆から沖縄へ向かった。男女100人余りが乗船。途中で爆撃を受けて沈没。4、50人残った。3つの部隊とひとつの総部があった。日本兵が木の下に臨時に家を建てた。看板があったが字が読めずわからなかった。家の中は一部屋ずつ区切られ、2列になっていて、一列が10いくつかの部屋があった。扉に番号があり、自分は3号だった。日本で働くようにといわれてきたが、きてみたら「慰安」だった。部隊の主管は西川だった。台湾に帰ってきたのは18歳の時だった。 |
証言者 | 仮名2 |
証言者属性 | 台湾人被害者 |
部隊名 | 不明 |
資料タイトル | 婦援会聞き取り調査記録 |
著者、公文書発信者など | |
公文書宛先 | |
発行日 | 1998 |
発行所 | |
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出典備考 | |
備考 |