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資料の詳細

出典種別 目撃証言
現在の地域情報沖縄県 地名特定不可能
資料にある地域情報沖縄
慰安所があった時期1944年7月頃
記載内容サイパンが玉砕した昭和19年7月、私は警察部特高課から那覇警察署の監督警部を命ぜられ、壮途につく気持で赴任した。その頃から沖縄守備のためと称し、日本軍の大部隊が続々押しかけてきた。・・・戦争の嵐は辻遊廓を血なまぐさい巷に変えた。たまに市民が登楼、彼女たちのつまびく三味線の音に情緒を味わい、泡盛を酌み交わしていると、日本刀をガチャつかせ、女を出せと暴れる軍服の大虎小虎に、市民は追い出されたもんだ。各部隊は競うて慰安所を設置、1ヶ所15人、1個連隊で2ヶ所を設置、全駐屯部隊で5百人の慰安婦を辻遊廓から狩り出した。戦局の悪化で、彼女たちが慰安所行きを避けるようになった。その対策に部隊が奇妙な集会を催す仕儀にあいなった。/慰安婦狩り出しの集会/嵐(十・十空襲)の前の昭和19年の夏、ある部隊の副官が那覇警察署にやってきて、「わしの部隊には慰安所が無い、慰安婦も兵力じゃが、これでは部隊の士気にかかわる。署長でぜひ世話を頼む」と要請した。・・・副官が日本刀を握り、壇上から「こんかいの戦争は皇国の興廃と沖縄の運命をかけた戦いぢゃ。各地の持ち場でご奉公の誠をつくし、国民総動員で勝ち抜かなければならぬ。お前さんたちに鉄砲で戦えと言うのではない。慰安所で兵隊の士気を鼓舞し、勇躍出動するように激励してくれ」と切り口上でぶった。会場はシーンとして、アンマーたちの表情は複雑であった。その頃すでに兵隊相手の慰安婦の苦しみが、辻遊廓に知れわたっていた。それ故部隊の勧誘も威令も効果がなく、芸妓、酌婦の廃業願いが警察に殺到した。なかには知名士の善処要望の手紙を持参した者もいた。那覇警察署では願いに沿うて断固として善処した。やがて軍から那覇警察署に「病気、結婚その他やむを得ざる理由のほか、廃業まかりならぬ」と厳達がきた。窮地に追いこまれた辻の女たちは、廃業の理由をつくる為に奔走した。それは診断書や結婚承諾書を入手することであった。結婚承諾書は大方馴れ合いであった。おけげで多くの遊女が救われた。以上述べたことは、米軍の来襲を控え、辻遊廓の遊女をおそった徴用の嵐であり、沖縄決戦の秘話である。
証言者山川泰邦
証言者属性那覇警察署長
部隊名
資料タイトル群星
著者、公文書発信者など沖縄エッセイストクラブ編
公文書宛先
発行日1984
発行所沖縄エッセイストクラブ
ページ
出典備考山川泰邦「従軍慰安婦狩り出しの裏話」
備考 慰安所がどこに設置されたかこの証言では語っていない。
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