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資料の詳細

出典種別 その他
現在の地域情報江蘇省 南京市 浦口区
資料にある地域情報浦口
慰安所があった時期1937年
記載内容「其ノ女ノ子ハ南京カラ約60哩位ノ所ニアリマス浦口ノ者デゴザイマシタ。ソコヘ日本ノ兵隊ガ参リマシタ。・・・所ガ其兄弟ノ妻ガ暴行ヲ拒ンダノデ殺サレマシタ。又モウ1人ノ姉ガ、ヤハリ暴行ヲ拒ンダノデ殺サレマシタ。其ノ間、父ト母ハ兵隊ノ前ニ跪イテ哀願シテ居リマシタガ、何レモ其ノ面前デ殺サレマシタ。コレラハミナ銃剣ニ依ッテ刺シ殺サレタノデアリマス」「彼女ハ気絶イタシマシタ。所ガ何処カ分ラナイ営舎ニ連レテ行カレマシテ、2箇月間監禁サレマシタ。最初ノ月ハ毎日暴行ヲ受ケマシタ。着物ヲ剥サレテ暴行ヲ受ケタノデアリマス。ソノ後、彼女ハ性病ガヒドクナリマシテ、兵隊ハソレ以上暴行スルコトヲ止メマシタ」これもまた東京裁判における証言である。すべてが、日本に帰れば善良な父親であり、たとえば八百屋として町内の人気者であり、時として教壇で教育勅語の解説をする教師である。そうしたただの兵隊の行為である。・・・
そしてこの上からの思想を拒否できない時、上からの思想と自分のものとし、思想は行動のなかでより増幅するところから、下は暴走してしまう。これを戦争に置きかえると、くどいまで書いてきたが、侵略戦争を“上”が意図し実行し“下”を“兵隊”として動員した時、増幅作用の行きつくところはいまさら説明するまでもないだろう。さきに書いた嫂を殺し少女を監禁強姦した事件は、1938年(昭和13年)2月であり、少女が2ヵ月監禁強姦の繰り返しを受けている期間に、この事件の起こった浦口に“鎮静剤”慰安所を軍司令部は開設している。
証言者千田夏光
証言者属性
部隊名
資料タイトル従軍慰安婦〈続編〉
著者、公文書発信者など千田夏光
公文書宛先
発行日1978.9.30
発行所三一書房
ページ157-160
出典備考
備考 50万分の1の地図の南京に、揚子江岸沿いに下関がある。下関の西、揚子江を挟んだ対岸が浦口である。現在の地図で浦口を見ると浦口区の中心地である。テキサス大学図書館公開の中国地図・南京(シリーズL500、1954~)に「浦口」がある。地図の左端下部「5-5」にある。現在の地図の同所は「南京市浦口区」である。テキサス大学図書館公開の中国地図・南京は次を参照のこと。
http://legacy.lib.utexas.edu/maps/ams/china/txu-oclc-10552568-ni50-16.jpg
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