記載内容 | 慰安所は早くからありましたで。男は最初行くのが女の子のいる所で、下関には2か所、城内にも10か12か所あったでね。対岸の浦口にも慰安所が3、4か所ありました。女の子を世話してくれる所がなかったら、もっと暴行がひどかったやろ。下関の慰安所には朝鮮の人が多かった。中国人も12,3から25,6歳位までの人がいました。中国人は中国人の子ばかりの建物、朝鮮人は朝鮮人の建物に集めてました。南京城内でも日本人の女性がいる慰安所は1か所ぐらいでしたで。日本では売れない40代の小母さんの女の人が、何人かいたようです。慰安所の女の人をピーと呼んでました。町の裏通りに入ったら、軍の許可を取ってない闇の慰安所がたくさんあってね。裏通りで立っている女の子はだいたいそんな商売淫売やった。日本人が女の子5人位連れてって闇で商売していた。サック持ってればいいけど、そのまますると、料金は安いけど強烈な淋病などの病気にかかりやすく、危険でしたな。軍の管理する慰安所では、入り口で札を買って自分の好みの子を呼んで、その子に札を渡して遊んできた。料金は1円50銭位で高かったな。日曜ごとに女の子を買いに行ったらすぐお金がなくなる。日本の男は女の子が好きやな。一番先覚えるのが淫売や女郎屋や。 |