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資料の詳細

出典種別 被害証言
現在の地域情報江蘇省 南京市 秦淮区
資料にある地域情報中山東路の南側
慰安所があった時期1938年8月
記載内容南京市街に入ったトラックは、所々に空き缶が吊り下げられている、有刺鉄線で囲まれた日本軍の建物を過ぎてまもなくエンジンを止めた。「着いたぞ。さっさと降りるんだ」そこは中山東路の南側に位置し、東側には雨花台と下関の間をつなぐ鉄道が走っていた。小さな店が軒を並べる通りに面した大鉄門を入ると、その一画には10軒近い慰安所がひしめき合っていた。門をくぐったすぐ手前の2階建ての大きなレンガ造りの建物が、永心が入れられた「キンスイ楼」だった(口絵③④⑤、22ページ地図)。
正面玄関を入り、手すりのある階段を上ると、廊下を挟んで両側にたくさんの部屋が並んでいた。「ここがお前の部屋だ」階段を上って、左から2つめのドアには、「19」という番号札が掛けられていた。6畳ほどの部屋の中にはベッドが一つ置かれ、天井から裸電球がぶら下がっている。2階の19号室は北側の部屋で、風通しの悪い部屋の中は蒸し風呂のような暑さだった。ただでさえ真夏の南京は武漢、重慶と並んで「三大かまど」と称されるほどに暑い。
慰安所の1階には、慰安所を管理する日本語の上手い朝鮮人夫婦が住んでいた。妻は若かったが夫は年をとっていた。「さっさとこれに着替えるんだ」慰安所の主人は。永心の足元に日本の着物を投げつけた。・・・
「今日からお前は『歌丸』だ。いいな」「私は永心だ。歌丸ではない!」「言うとおりにしろ、今日からお前は日本軍の相手をするんだ。言うことをきかなければひどい目にあうぞ」慰安所の主人は永心を一喝し、さらに、髪の毛を短く切るように命じた。・・・
証言者朴永心
証言者属性朝鮮人被害者
部隊名
資料タイトル戦場の「慰安婦」-拉孟全滅戦を生き延びた朴永心の軌跡
著者、公文書発信者など西野瑠美子
公文書宛先
発行日2003.12.25
発行所明石書店
ページ21-23
出典備考注:22pの「1930年代の南京市街地図」が掲載され、そこに星印が付されている。欄外の(注)には「太平路東側の★印は、「キンスイ楼」があった利済巷を示している」とある。
備考 p22に「1930年代の南京市街地図」あり
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