出典種別 | 兵士の回想録等 |
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現在の地域情報 | 江蘇省 南京市 秦淮区 |
資料にある地域情報 | 夫子廟の周辺(南京の街外れ) |
慰安所があった時期 | |
記載内容 | 南京へ引きあげて、ほっと一息つく間もなく、私はこんどは海軍従軍記者になって溯江艦隊に従軍することになった。・・・お別れに意味で、私は前線組の記者やカメラマンたちと数名で夫子廟へ車をはせた。・・・夫子廟は南京の街外れにある孔子の廟だ。廟の近くを泰准川が流れている。この川の両側に料亭がならび、川には画舫とよぶ屋根付きの小舟が浮かぶ。・・・しかし、私たちが訪れたときは廃墟の泰准だ。川のほとりには焼け崩れた家の残骸がならんでいた。なかに焼け残った料亭が何軒かあった。その1軒に「日華親善館」と書いた家があった。古ぼけた家だった。・・・「なにがあるか?」ときいたら、「オンナがある」という。私たちの一行4,5人、その数だけ女が現われた。何れも粗末な服装をした姑娘だった。17,8歳から20歳までくらい。もともとこの商売の女ではない。戦争で家を失い、家族と離れ離れになった難民の娘たちだろう。 |
証言者 | 小俣行男 |
証言者属性 | 従軍記者 |
部隊名 | |
資料タイトル | 戦場と記者 |
著者、公文書発信者など | 小俣行男 |
公文書宛先 | |
発行日 | 1967.3.30 |
発行所 | 冬樹社 |
ページ | 61-62 |
出典備考 | |
備考 | 日華親善館/現在の地図の南京郊外に夫子廟という地名がある。泰准河を挟む地域であるが、この夫子廟という地域に含まれるかは不明。ここでは上位の地域、泰准区でとった。中国の研究者らは日華親善館を慰安所としている。a-4560を参照のこと。 |