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資料の詳細

出典種別 兵士の回想録等
現在の地域情報江蘇省 南京市
資料にある地域情報南京
慰安所があった時期
記載内容難民区にも行ったよ。あそこで慰安婦が来たわ。年明けに慰安所にはわしらも行ったよ。部隊で連れとんやで。16師団の部隊がな。南京のな、奥に抜けた所にある湯山ちゅう温泉宿があった。そこは陥落の2日前やったかな、風呂だいうておった。その時にもう慰安婦が来ておった。年明けてから、私ら一番乗りして占領したとこをね、38聯隊がな、来たちゅうことを言うたんやで。・・・駐屯地から慰安所までは歩いて近い。繁華街にあった。民家じゃなく軍が作ったやつやろな。券は業者。お金はあの当時、軍票はあったんかいなぁ。給料は何でもらったんかわからん。日本円みたいに思うな、ようは分からん。金を払ったかどうかもよう分らん。(サックを)使こうたかどうかもよう覚えとらん。(慰安婦の)検査にも立ち会いに行っとるんですわな。軍医さんについてな。自分とこの部隊のんや。33連隊の作った慰安所や。場所は憶えていない。軍医とは週に1回くらい行った。婦人科の先生が1人おったな。慰安婦は10人くらいやったかな。朝鮮の人もおったね。日本は九州の人が多いでな。遊んだ人に聞いたら九州やってのを聞いた。クーニャンの徴発のことは聞くけどね。治安維持会できてからそんなことしたらな、軍法会議やでなぁ。日本兵でもな、行方不明になった人があるんですよ。その人がそれさ。南京内で憲兵は見なかった。ほやけどおるんじゃろな。軍法会議かけるいうとった。軍法会議にかけられたもんもおると聞いている。好き勝手ができたんは維持会ができるまでの間。33聯隊に慰安所はあらへんで。それは師団単位やないかと思う。で戦争終わったらさーっと行くっつうことやな。慰安婦は師団が用意しとったんやろな。
証言者西田泰雄
証言者属性日本軍兵士
部隊名第16師団歩兵第33連隊第2大隊
資料タイトル南京戦ー閉ざされた記憶を尋ねてー元兵士102人の証言
著者、公文書発信者など松岡環
公文書宛先
発行日2002.8.15
発行所社会評論社
ページ153-154
出典備考
備考 証言の難民区(漢中路以北、中山北路以西の地域)は安全区とも呼称、現在の地図の鼓楼区に含まれる。湯山は江寧区、駐屯地の近くの慰安所は位置不明。よって南京市でとった。
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