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資料の詳細

出典種別 兵士の回想録等
現在の地域情報江蘇省 南京市
資料にある地域情報南京
慰安所があった時期1937年12月
記載内容*さて、「渡辺進軍医大尉日記」で慰安所関係の記述が最初に現れるのは、上海派遣軍が参謀部第2課の慰安所開設案を審議した12月28日からである。以下、日記から関係部分を摘記する。
〔12月28日〕
〇豊島大尉を見送り、明日検梅76名の件、■13に連絡。(中略)
〇午后1時、小出少佐は◆へ会議(軍慰安所の件)。(中略)
〇検梅医官、■13より佐伯中尉、平尾少尉来る。明朝よりの検梅の打合せをなす。(中略)
〇午后5時より小口大尉と共に、第1、第2楼及四達里、瑞芳泉を視察す。*・・・上海派遣軍による慰安所設置の最大の動機は、日本軍人による非行の防止にあったが、軍医部では、職掌がら、軍人の性病罹患防止問題と慰安所開設・「慰安婦」検梅問題を連動させて考えていることがうかがえる。また、「慰安婦」にする女性76名を上海派遣軍が早くも確保していることが注目される。最後の記述は、軍医部の将校として慰安所となる施設を視察したということだろうか。
〔12月29日〕
〇小口大尉はP検査の指導に行く。*軍医部付の小口大尉は「P検査」つまり「慰安婦」の性病検査の指導に出かけている。・・・
証言者渡辺進
証言者属性軍医・大尉
部隊名上海派遣軍軍医部
資料タイトル江南行 弐 渡辺大尉
著者、公文書発信者など渡辺進
公文書宛先
発行日
発行所
ページ
出典備考吉見義明「南京・上海の慰安所と上海派遣軍軍医部―「渡辺進軍医大尉日記」から」『季刊戦争責任研究』第27号、2000、31ページ。
備考 鉄管巷、四達里、瑞芳泉の位置不明。南京市でとった。
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