出典種別 | その他 |
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現在の地域情報 | 江蘇省 南京市 |
資料にある地域情報 | 南京 |
慰安所があった時期 | 1937年12月 |
記載内容 | *大西に慰安所をつくるよう命じられた王承典と孫淑栄は、その任にあたる者として喬鴻年を推薦した。ミニー・ヴォートリンの日記に記されている、クリスマス・イブに金陵女子学院に「慰安婦」募集に行った人物は大西と喬鴻年であろうか。 12月24日 金曜日 あしたはクリスマス。10時ごろわたしの執務室に呼び出されて、-師団の高級軍事顧問と会見することになった。さいわい、大使館付の年配の中国人通訳を同伴してきた。ここの難民1万人のなかから売春婦100人を選別させてもらいたいというのが日本軍側の要求であった。彼らの考えでは、兵士が利用するための正規の認可慰安所を開設することができれば、何の罪もない慎みある女性にみだらな行為働くことがなくなるだろう、というのだ。以後は女性を連行しないことを彼らが約束したので、物色を始めることを承知した。……略……かなりの時間が経過してから、彼らはようやく21人を確保した。……略……大勢の少女が次々やってきて、残り79人は品行正しい少女のなかから選ぶのか、と質したが、わたしとしては、わたしが言って阻止できるのであれば、そういうことにはならないはずだ、と答えるのが精いっぱいだ。 *残り79人を金陵女子文理学院の難民の中から連行して行ったか、否かについてはヴォートリンは明記していない。 |
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資料タイトル | 南京レイプと南京慰安所 |
著者、公文書発信者など | 川田文子 |
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出典備考 | 『季刊戦争責任研究』第27号、2000春、日本の戦争責任資料センター、16ページ |
備考 | 『南京事件の日々 ミニー・ヴォートリンの日記』笠原十九司(解説)大月書店、1999年、77p/ミニー・ヴォートリンは女性難民区金陵女子文理学院責任者。難民区(安全区)は鼓楼区にあったが、日本軍が選別した女性を慰安婦としてどこに慰安所を開設したかは不明。ここでは南京市でとった。 |