記載内容 | 7月27日、南京の下関車站に到着した第4師団第1兵站司令部は、第2軍の隷下に入り、防諜部隊名は中支派遣東部隊池田(竜)部隊と定められた。東部隊とは、第2軍司令官・陸軍中将東久邇宮稔彦王の頭文字である。翌日、部隊員たちは連れだって、南京市内を見物した。昨年12月13日に陥落してから7ヵ月あまり、市内はいたるところ戦禍の跡がいちじるしく、荒涼たるものであった。しかし、もう多くの邦人が進出しており、中国人の家屋に入って軍人向けの飲食店を開いていた。彼らはまた、ここではじめて慰安所を目にしている。もちろん、そのときは、みずから慰安所を開設し、監督、運営する運命にあるとは知る由もない。ただ、好奇心にかられて、2ヵ所あるという慰安所の一つに入った者もいた。それ以前ホテルだった建物で、入口からあふれた兵隊たちが行列を作っていた。元のフロントが受付で、この行列の終点になっている。ここで兵隊は金を払って番号札を受け取り、順番を待つのだ。女たちの部屋は2階にあって、兵隊が1人、階段を降りてくると、受付の男が「ハイ、おつぎの方、何番、何号室へどうぞ」と声をかける。その声にうながされて、つぎの番の兵隊が階段を上っていく。客である兵隊たちは、金を払わされるだけで女を選ぶこともできず、まるで共同便所で順番を待つように並んで待たされたあげく、あいたドアに入るのである。 |