出典種別 | その他
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現在の地域情報 | 江蘇省 南京市 秦淮区 |
資料にある地域情報 | 南京 貢院東街2号 |
慰安所があった時期 | 1938年 |
記載内容 | 1938年に傀儡機関の「行政院宣伝局新聞訓練所」編集の『南京指南』という慰安所の場所と地図が載った小冊子が発行された。ここには大華楼慰安所(白下路312号)、共楽館慰安所(桃源鴻3号)、東雲慰安所(利済巷普慶新村)、浪花慰安所(中山東路)、菊花館慰安所(湖北路楼子巷)、清南楼慰安所(太平路白菜園)、満月慰安所(相府営)、鼓楼慰安所(鼓楼飯店)、人民慰安所(貢院東街2号)の9つの陸軍慰安所が掲載されている。また、1939年10月1日付『戦地電訊』に掲載された「南京魔窟実録」には東花宮、綺紅閣、慈香院、泰准別墅等、254ヵ所の妓楼(慰安所)があると記されており、その数の多さには驚くばかりである。 |
証言者 | |
証言者属性 | |
部隊名 | |
資料タイトル | 戦場の「慰安婦」-拉孟全滅戦を生き延びた朴永心の軌跡 |
著者、公文書発信者など | 西野瑠美子 |
公文書宛先 | |
発行日 | 2003.12.25 |
発行所 | 明石書店 |
ページ | 33 |
出典備考 | 『南京指南』行政院宣伝局 新聞訓練所編集、1938年 |
備考 |
現在の南京市の地図に貢院街、貢院西街はあるが、貢院東街は見えず。貢院街、貢院西街は夫子廟付近で、秦淮区にある。なお、経盛鴻(訳/高宏)「南京の慰安婦と慰安所」『季刊戦争責任研究』第28号、2000夏、日本の戦争責任資料センター、60ページによると以下のとおり。1938年4月、喬鴻年が”上軍慰安所”主任の身分を使って、南京市の傀儡”自治委員会”に夫子廟(孔子廟)付近に”人民慰安所”を設置するための申請書を提出した。原文は「私は南京特務機関の委託を受け、夫子廟地域の商業を振興するため、全市人民の生活を調整するために、夫子廟の貢院街の海同春旅館の跡地並びに市府路の永安自動車商会の跡地と永安里の全部の家屋を使い、人民慰安所を2ヵ所設立しようと思っており、いま改装工事中であり、竣工次第開業する予定である。すでに各管理機関に報告した他に、この文書をもって報告いたします」である。
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