出典種別 | 目撃証言 |
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現在の地域情報 | 雲南省 保山市 騰衝市 勐連村 |
資料にある地域情報 | 孟連 |
慰安所があった時期 | 1943年 |
記載内容 | 「戦争の時も、そうやって日本軍のために下駄を作ったのですか?」 「そう。日本軍が入ってきた時、日本軍は維持会の会長を通して私に日本軍のために下駄を作れと命令したんです。当時、維持会は日本軍とのパイプ役のようなことをやらされていましたから、維持会の言うことは断れなかったね。慰安所の女たちの下駄も作らされましたよ。」「慰安婦の下駄、ですか?」「ああ」・・・ 日本軍の横暴さは、村人たちに語り継がれていた。「ある日、村の男が薪を積んだ天秤棒を担いでいたんですよ。その時、慰安婦を連れていた日本軍の軍人にすれ違ったんだが、その薪が慰安婦の胸に当たった。それが気にくわなかったんでしょう。その男は軍刀で殺されました。日本軍の女を挑発したというわけです。村人はあまりにひどいと憤慨したが、あのころは日本軍にたて突くことなんかできなかったからね」老人の自宅から20分ほど歩いた所に、当時、日本軍が慰安所にしていたという建物が残っていた。 |
証言者 | 陳加増 |
証言者属性 | 下駄職人 |
部隊名 | 騰越守備隊 |
資料タイトル | 戦場の「慰安婦」 拉孟全滅を生き延びた朴永心の軌跡 |
著者、公文書発信者など | 西野瑠美子 |
公文書宛先 | |
発行日 | 2003.12.25 |
発行所 | 明石書店 |
ページ | 165 |
出典備考 | |
備考 | 雲南省には孟連傣族拉祜族佤族自治県が存在するが、同書のp164には「龍陵から車で北西へ30分ほど行くと、騰越の少し手前に孟連の村がある」とある。騰越市の行政区画内にある「勐連」をこの証言の村として採用した。 |