| 出典種別 | その他 |
|---|---|
| 現在の地域情報 | 地名特定不可能 |
| 資料にある地域情報 | 不明 |
| 慰安所があった時期 | 未記載 |
| 記載内容 | 満鉄宿舎の広い体育館のような場所に、幾つかの日本人グループが一緒に寝起きしていた時のことです。その中に、日本兵の一団と、その兵士たちと行動を共にしている女性の一団(従軍慰安婦?)がいました。日本兵と女性たちが皆の前に出て言ったそうです。・・・「“女を出せ”等と言ってくることがあるかもしれないが、その時は自分たちが出ていくから、皆さんは静かにしていて下さい」というようなことを、兵士と女性たちが母たち皆の前で言ったといいます。そしてその予想どおり、それが現実のこととなった日がありました。暴徒が襲ってきた時、母たちはそういう女性たちに助けられたのです。 |
| 証言者 | 植村美千子 |
| 証言者属性 | |
| 部隊名 | |
| 資料タイトル | 満洲国に生まれて-美千子一歳の終戦 |
| 著者、公文書発信者など | 植村美千子 |
| 公文書宛先 | |
| 発行日 | 1994.7.3 |
| 発行所 | 勁草書房 |
| ページ | 64-65 |
| 出典備考 | 注:敗戦後の状況。通化郊外の二道溝で帰国まで1年以上待機していた。二道溝に慰安所があったのか、それとも周辺からやって来たのかは不明。証言者は当時1歳。母親から当時の状況を聞いたのであろう。 |
| 備考 |