出典種別 | 兵士の回想録等 |
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現在の地域情報 | 地名特定不可能 |
資料にある地域情報 | 北部中国 |
慰安所があった時期 | 1939年 |
記載内容 | そんなことをポツリポツリ語りつつ、「そこで慰安婦というものを、えらい人はわれわれ兵隊に与えてくれたわけですね、その刹那性をなだめようとして。本当にわれわれのためでなく、彼らのためなんですがね」「ということは、どういう意味ですか」「兵隊が刹那的になって、手荒いことをすると指揮官である彼らの責任になる、ということですよ。役所で下っ端が何かやらかすと、課長なり局長も責任とらされ、出世の妨げになるでしょう、あれと同じですよ」「なるほどわかりました」「ところが兵隊の給料は、いくらだったかな、たしか一等兵で8円、戦争手当がついて10円でしたか。上等兵で10円80銭、手当つきで12円でした。それなのに慰安婦は日本人慰安婦が3円から5円、朝鮮人慰安婦が1円50銭から2円、中国人慰安婦が1円から1円50銭でした。慰安婦の世界でも人種差別をしているのもおかしかったが、ともかく、この金額ではロクに慰安婦も抱けない」「食料徴発に行ったついでに、馬をかっぱらって売り飛ばしたこともあります。酒を飲んだ勢いで姑娘、娘ですね、それをやったこともあります。これだとお金もいりませんから」・・・ 北部中国の駐屯地では、兵隊が飽きないよう2ヶ月半おきに、慰安婦を新顔に交代させていたが、その慰安婦は兵隊に評判がよく、ずうっといつづけた女性だったという。“兵隊”を下士官、将校と差別せず接してくれた女性だったという。 |
証言者 | 千葉県松戸市 M氏 |
証言者属性 | 日本軍兵士 |
部隊名 | 北支那方面軍峰木部隊 山中隊兵隊 |
資料タイトル | 従軍慰安婦〈続編〉 |
著者、公文書発信者など | 千田夏光 |
公文書宛先 | |
発行日 | 1978.9.30 |
発行所 | 三一書房 |
ページ | 82-83 |
出典備考 | |
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