出典種別 | 兵士の回想録等 |
---|---|
現在の地域情報 | 地名特定不可能 |
資料にある地域情報 | 不明 |
慰安所があった時期 | |
記載内容 | 支那派遣軍全般に亙って増加して来た逃亡離隊事件の原因は、朝鮮兵士の増加にあった。・・・駅や、波止場へと、三角地帯の都会に向って出て来る内地人の逃亡兵と異り、彼等は凡て敵地区に向って迯れて行くのであった。奥地には、『朝鮮独立』を唱える『韓国光復軍』の集団組織があった。これに因って中支憲兵隊における逃亡兵逮捕率は80%から70-65%と低下して行った。軍人として直接日本軍隊に在る彼等の外に通訳、運転手、軍商人等軍属として、多くの人員が日本軍の構成に加わっていた。これ等の人々の協力と共に、特に記録すべきものに朝鮮婦人の従軍がある。彼女達の殆んどは軍慰安所の慰安婦として、青春の肉体を日本軍に提供していた。日本軍隊の駐留する処必ず慰安所が設置され、その検黴にはその地各憲兵隊が立会していた。故国を遠く、只灰色に包まれた戦火の後を追って、砲声の轟く前線から前線へ続けられて行く彼女達の旅は、文字通り献身奉仕の旅であり、過労と病魔にさらされた、彼女達の日夜を分たぬ勤めは、兵にもまして命を賭けたものであった。 |
証言者 | 久保田知績 |
証言者属性 | 日本軍兵士・憲兵曹長 |
部隊名 | |
資料タイトル | 上海憲兵隊 |
著者、公文書発信者など | 久保田知績 |
公文書宛先 | |
発行日 | 1956.3.28 |
発行所 | 東京ライフ社 |
ページ | 109 |
出典備考 | |
備考 |