出典種別 | 公文書・軍関係資料等 |
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現在の地域情報 | 地名特定不可能 |
資料にある地域情報 | 不明 |
慰安所があった時期 | |
記載内容 | 李万有はごろつき出身で、1971年から天津市で妓院を開設、一時は7軒にまで発展した。青幇に所属し、部下は、従弟、従孫も入れると、4,5百人にもなった。・・・日本統治時代、彼は楽戸聯合会の会長をつとめ、多くの妓女を日本軍駐屯部隊に送り、彼女たちを蹂躙させた。楽戸聯合会の職員はすべて彼の部下である。李万有によって、日本軍に『献納』され、外地へ送られた女性たちの中には、途中でその手先達の虐待を受け、その中の1人はその虐待に耐えられず汽車から飛び降りて死んでしまった。今1人は虐待されて死んだ。又、もう1人の妓女趙○○は、汽車に右足を引かれて障害者になってしまった。彼はまた、保甲制の甲長となって民間の銅、鉄をかき集めて日本軍の武器の製造を供し、侵略戦争の進展を助長した。 |
証言者 | |
証言者属性 | |
部隊名 | |
資料タイトル | 中国人民解放軍天津市軍事管制委員会軍法処判決文 |
著者、公文書発信者など | |
公文書宛先 | |
発行日 | 1951.7.8 |
発行所 | |
ページ | |
出典備考 | 林伯耀「天津の日本軍「慰安婦」供出システムー偽「天津特別市政府」警察局の公文資料から」『女性・戦争・人権』第2号、「女性・戦争・人権」学会、1999.5.20、行路社、96ページ |
備考 |