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資料の詳細

出典種別 目撃証言
現在の地域情報地名特定不可能
資料にある地域情報終戦時は満州
慰安所があった時期未記載
記載内容彼女は朝鮮人、名前は「アン」、戦時中、北朝鮮のある村の幹部の娘だったそうです。ある時、村を通過する日本軍が昼食をすることとなり、村全体をあげて湯茶などの接待をすることとなりました。・・・昼食など無事にすみ、日本軍は機嫌よく村を出て行きました。数日後、大変なことが起こったのです。部隊司令部から、アンを看護婦として採用するから、出頭させるようにと命令してきたのです。看護婦!その意味は歴然としていました。慰安婦なのです。しかし、命令に背けば、どんな報復を受けるか分りません。似たようなことは朝鮮のあちこちで起きていたのです。アンをどこかへ逃がすようなことをすれば、村全体が焼き払われるかもしれない。アンは泣く泣く部隊司令部へ出頭したのです。其の後、部隊がどう動いたのか分りませんが、彼女は部隊長の専属慰安婦として、部隊と行動を共にしていたようです終戦の時、部隊は満州におりました。・・・日本人でない彼女は解放されるはずでしたが、アンは村へ帰れないと言って、ソ連の女性将校の保護の下にシベリアへ入ったらしいのです。彼女自身は何も悪くない。しかし、村全体が彼女のことを知っている。シベリア東部・北朝鮮との国境近くに大勢の朝鮮人が暮らしている地域があり、そこへ行ったらどうかとソ連側から勧められたらしいのですが、彼女はいずれ私のことは知れる。そんな所へは行きたくないと断ったそうです。そしてカクイの造船所の雑役の仕事を与えられ、ここで暮らすこととなったのです。
証言者飯島久
証言者属性士官学校に在校
部隊名
資料タイトル平和の礎 シベリア強制抑留者が語り継ぐ労苦 19
著者、公文書発信者など平和祈念事業特別基金編
公文書宛先
発行日2009.3.13
発行所平和祈念事業特別基金
ページ284
出典備考飯島久「シベリアの悲劇と帰ってきた日本の現実」
備考 カクイをグーグルマップで検索すると、モスクワの東方約560キロの地点(カクイКакуй)がヒットする。ここだろうか。
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