出典種別 | 兵士の回想録等 |
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現在の地域情報 | 地名特定不可能 |
資料にある地域情報 | 不明 |
慰安所があった時期 | 未記載 |
記載内容 | 日曜日の作戦地の兵隊にとって、外出といえば、極言すると“慰安所”ということに外ならないのである。外出で1週間に1回、解放された兵隊たちは、日の丸の旗ひらめく、慰安所へと列をなして殺到する。ちょっと嫌らしい気分にもなるが、各部隊一緒の外出日は、数千名の兵隊にたった2,3軒の慰安所で、約2,30名くらいの慰安婦しかおらない。・・・ わが警備地にある、部隊管理の慰安所は3軒あった。1軒は日本人経営の『暁館』といい、内地人と中国人慰安婦をおき、後の2軒は『すみれ荘』と『さつき荘』といい、朝鮮人経営で、朝鮮人慰安婦のみをおいていた。1軒の慰安所には、大体10名内外の慰安婦がいた。・・・戦闘も終わり、さて、警備となるや、この黒田部隊長の張り切り方はまた格別であった。まして、こと警備地の食堂や慰安所の設備となると、あらゆる努力を惜しまず兵隊を使った。この黒田部隊長には、戦場夫人ともいうべき部隊長専属慰安婦がいた。彼女は『すみれ荘』の女主人公で、22,3歳、丸ポチャの美人で、朝鮮人慰安婦あがりの富子という女性であった。・・・ |
証言者 | 宮崎清隆 |
証言者属性 | 日本軍兵士 |
部隊名 | |
資料タイトル | 鎖と女と兵-初年兵時代- |
著者、公文書発信者など | 宮崎清隆 |
公文書宛先 | |
発行日 | 1967.7.1 |
発行所 | 宮川書房 |
ページ | 208、210、216、221 |
出典備考 | |
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